汚染水に沈んだ村を見に行った話(ルーマニア)
コロナ対策で自宅待機になって暇すぎるのでブログ書いてみます。
ありがたい話ヨーロッパに1年間留学してた間、マジで一生分くらい旅行しました。
今後の人生であんなに色んな場所に行って色んな経験することなんてないだろうから、思い出としてぼちぼち書き留めていこうかなと。
とりあえずルーマニアのジャマナ(Geamana)という村に行った話。
ジャマナがあるのはルーマニアの第3都市クルジュ=ナポカから、南西に100kmくらい行ったところ。
このジャマナ村を衛星写真でみると、毒々しい色の湖に浸食されてるのが分かります。
ジャマナ村に何があったのかは、以下の動画(英語です)でざっくりと分かるかと。
補足して説明すると、
1977年、当時ルーマニアの大統領だった独裁者チャウシェスクは、Rosia Poieni銅山(衛星写真の左下)から出る工業廃水をジャマナ村が位置する渓谷に流して廃棄することを決定し、当時のジャマナの住民に立ち退き命令を出しました。
そんなムチャクチャな政策により、400世帯の住民が村から避難することを余儀なくされ、村は有毒なシアン化合物を含む廃水に飲み込まれてしまいました。比較的標高が高いところに住んでいた約20人の住人は、今もこの有毒な湖のそばに住み続けています。
(当時政府は避難する住民にジャマナ村から7km離れた場所に住居などを補助する約束をしていましたが、その約束は守られることなく住民は村から100km以上離れた場所に追いやられてしまいました。加えて政府は、村にあった墓地の移転も約束していましたが、こちらも守られることはなく、今も廃水の中に墓地が沈んでいます。)
参照: https://www.zmescience.com/other/feature-post/geamana-village-romania-toxic/
とこんな感じで、ジャマナ村は独裁者チャウシェスクの負の遺産とも言えます。
そんなジャマナ村への行き方なんですが、ネット上にはほとんど情報がなく、公共交通機関で行けるのか全く不明だったのでとりあえず一番近くの大都市クルジュ=ナポカで情報収集することにしました。(車レンタルして運転していけば一番簡単なんですけどね)
なんやかんやで、ジャマナ村の北にあるルプシャ(Lupsa, 衛星写真の上部)という村までバスに乗って行けと言われたので、とりあえずすぐにルプシャに民宿を予約して、その日のうちにルプシャに向かいました。
ルプシャに到着して民泊のおっちゃんにジャマナ湖に行きたいと告げると、明日の朝に車で送っていってくれるとのこと。ルプシャからジャマナまでの行き方については、「着いてから考えよう」の精神で来ていたのでこれはマジでありがたかったです。
ちなみにこの民宿、ルプシャではほぼ唯一くらいの宿泊施設で、到着した時には庭で猫と犬と馬とニワトリが歩いていました。たのしい。
推しです。人懐っこい黒猫。
なぜかトイレで赤ちゃん猫が飼われてました。トイレ中にむっちゃ鳴かれて、非常に落ち着かない。
その日の夜は高原にある小屋に連れて行ってもらい、おっちゃんと一緒に治安の悪い飲み会をしました。このおっちゃんはほぼルーマニア語しか話せないので、ルーマニア語の分からない僕はニコニコしながら無限に注がれる酒を飲むことでしかコミュニケーションがとれません。
ルーマニアの伝統的な蒸留酒ツイカ(Tuica)。アルコール度数は40度以上です。5リットルの容器に満タンに入ってます。
無限に注がれるツイカを飲み続けたこの日は、間違いなく人生で一番酔っ払いました。
写真を見返すとバーベキューをしてたっぽいんですが、全然覚えてなくて損した気分です。なんか色んなところに激突しながらシャワーを浴びに行った記憶はあります。
翌朝6時頃、一番酔っぱらっていた僕はなぜか一番早く起きました。二日酔いがないどころか異様に目覚めが良くて気分爽快でした。ツイカは添加物を使わずに家庭で作られる酒なので、悪酔いはせず健康に良いらしいです。
朝ごはんを食べて、出発前におっちゃんの奥さんがお弁当を持たせてくれました。ルーマニアのド田舎にある、本当にホスピタリティに溢れた宿に巡り合えました。
朝も早いうちに、おっちゃんの運転でいざジャマナへ出発です。
ルプシャからジャマナは山道を5kmほど上る道のり。行きはおっちゃんに送ってもらって、湖を見て、帰りは歩いてルプシャに戻って、その日のうちにバスでクルジュ=ナポカに戻る予定でした。
ジャマナに向かう途中、むちゃくちゃ強そうな野犬が車にタックルしてきたりして、帰り道が少し不安になりました。
湖の近くで降ろしてもらい、ここでおっちゃんとはサヨナラです。
おっちゃんが去り際に、
「湖の周りは歩ける距離だから、一周して散歩でもしてきなよ」
と言ってくれました。
ということで湖の周りを散歩することにして、歩き始めます。
歩いてすぐに湖のほとりに着きました。
こころなしか木々が元気ない。湖があるのは分かるけど、まだ時間が早いため朝靄がすごすぎて全貌が見えません。
靄が晴れるまでぼちぼち湖の周りを歩きます。
段々と湖の色が分かるようになってきました。赤い湖。この湖はToxic Lake(毒の湖)と呼ばれてたりもします。
かつてのジャマナ村には町のシンボル的な大きな教会が建ってました。村が廃水に沈んだ今、教会の屋根部分だけが有毒の湖から顔を出しています。
この下に約400世帯の村があったと考えると、ここに流し込まれた廃水は本当に大量です。
また、衛星写真を見て分かるように、湖には灰色っぽいところ、赤、水色に染まっているところの3部分があります。
上の写真を見て分かるように、灰色のところは泥状になってます。たぶん採掘場から出た泥が汚染水と混じって堆積してるんじゃないかな。
山道を歩き進んでいると、湖が灰色から赤色に変色している境目に差し掛かりました。水質も泥から液状に変わっています。
ちなみにこの湖の周りの道、ほんとに道なの?って思うくらい悪路です。
日の光があんまり届かないから、基本的に道がぐちゃぐちゃです。
頑張ってぐちゃぐちゃゾーンを避けながら歩いていたのですが、ぐちゃぐちゃゾーンが川のように道を分断してしまっているところもありました。そんなときにはそこらへんにある大きい石をぶん投げて飛び石を作ったり、丈夫な木の枝を敷いて橋っぽいものを作って渡って行きました。今思うとなんでそんなに頑張っていたのかほんとに謎です。
そんなこんなで湖が毒々しい赤色になってきました。
異様な光景に「うわー・・・」くらいしか感想が出ません。
ルーマニアをはじめ東欧諸国が民主化したのは歴史上つい最近のことです。
街にいるほとんどの人が民主化革命をリアルタイムで経験しています。さらにこのジャマナ湖のように、共産主義時代の負の遺産が生々しく残っています。経済的にもまだまだこれからの国々ですし、そんなふうに現在進行形の歴史の中に在る感じが、僕が東欧留学に惹かれた理由の一つでもあったりします。
湖がケミカルな水色になってきました。
地図を見ると、このあたりで大体湖半周くらい。
「まだ半分あるの??」
と思わずにはいられません。ここまで体感で結構な距離を歩いてます。
おっちゃんは「歩ける距離」と言っていたけど、もしかしておっちゃんは「歩ける」の基準がバグってるタイプの人間かもしれない。そんな不安を抱きながら、また歩き始めます。
ここからはヒッチハイクもできずに、特に面白いものもなく、ただひたすらに山道を歩き続けました。歩くのは好きだからいいんですけど、さすがにこれを「歩ける距離」とは言わない。
やっとこさ昼過ぎにルプシャに到着。朝おっちゃんに置き去りにされてから6時間は経っていました。あとで地図で確認してみたら、20km以上歩いてました。
そんなこんなで、ルーマニアの山奥で大冒険した話でした。
帰り道見つけた落書き。ルーマニア語で書かれてますが、"Do Not Forget Geamana. Save Rosia Montana(ジャマナを忘れるな。ロジアモンタナを救え。)"という意味です。ロジアモンタナはたぶんここらへんの地方の名称じゃないかな。